2009年 01月 05日
新年
2009年平成21年の幕が明けました。
今年も五本木五郎の独り言よろしくお願いします。
前より更新しなくなりましたが。
年末に沼津のおねえの家にいたパーキンソン病のおかあが、急に具合悪くなって、自分でトイレに行けなくなって、自分で起きるのも出来なくなって。
僕は大晦日の未明に実家の西伊豆土肥に帰って、昼におねえの旦那がおかあを沼津から土肥に車で連れて来てくれて。
寝たきりの状態のおかあを見て、大分悪い感じで、トイレ自分で行けないので僕が生まれて初めておかあの紙オムツ交換やりました。
小さいおかあでも体が寝てばかりで板のように固くて、オムツ交換するのも大変でした。
ご飯食べる時も寝てるおかあを起こすのもひと苦労で、起こしても背中を押さえてないと後ろに倒れてしまうので。
元旦の午後、東京の兄貴が来て、おかあの状態見て、これは思ったより大分悪そうだというので、かかりつけの病院に電話したら、担当の先生が休みだけど出て来て救急外来で診てくれるというので、兄貴と僕の二人でおかあを順天堂伊豆長岡病院に夜7時に連れて行きました。
いろいろ検査してもらったら、パーキンソン病の上に肺炎と認知症の疑いもあるというので即入院になりました。
元旦からおかあ入院になるとは、今年は新年早々波乱の幕開けだなぁと思いました。
個室の病室用意してもらって、病院出たのが10時近くで、腹減ったから兄貴とメシ食ってから、兄貴は一旦東京に帰るというので、僕は実家に帰りました。
入院も先生は1〜2週間とか言ってたけど、長引くかも知れません。
帰り際に兄貴が「おかあの遺影になるような写真探しといてくれ!」と言いました。
そう遠くないもしもの事を考えて。
これが現実なんだと思いました。
翌日僕はおかあが急に入院になったので、何も用意してなかったから、入院で要るもの持って行きました。
パジャマ、着替え、洗面道具やら。
2日の午後病院行っておかあの顔見たら、ずっと点滴してたので少し顔色よかったです。
でもボケたこと話すので、夢と現実がごちゃまぜになってるみたいで。
どこまで話通じてるのか?わかりません。
おかあもウトウトしてたので長居しててもすることないので、1時間半くらい居て実家帰りました。
 
夜に土肥の後輩達と恒例の山小屋バンド練習場でセッションしました。
後輩達の知り合いのボーカル二人来てて、楽しいセッションでした。
爆音で耳鳴りすごかったです。
その後、ドラムがやってる店で飲みました。
正月の間、おかあと実家で食べようと買って来た食材も翌日(3日)には大垣帰らないといけないので、店に持って行って、スパゲッティとチキン焼いてみんなで食べました。
スパゲティはカルボナーラとトマトのスパゲティ作って。
みんな「美味しい」と言って食べてくれました。
翌日3日の昼過ぎに実家を出て、また病院行きました。
おかあの顔見て大垣帰ろうと。
病院出て沼津インター乗る手前に東京の兄貴から電話で「明日(4日)俺土肥行くけど、アパートの鍵は?」と言うので、そういえば兄貴鍵持ってないの忘れてたので、兄貴は僕が持ってる実家の合鍵を「病院のおかあの所に置いとけ!」と言うので、せっかく沼津インター手前まで来たのに渋滞してる中、また順天堂伊豆長岡病院まで逆戻りで鍵置いて来ました。
兄貴も別に土肥行く時に沼津のおねえの家寄って、おねえも合鍵持ってるからおねえに鍵もらって行けばいいのに、年末おねえの旦那に僕は電話でえらい怒鳴られたので、兄貴もおねえの家行ったら旦那と顔合わせるとなんか言われるから、寄りたくなかったから僕に病院に鍵置いとけ!と言ったんだと思います。
おねえの旦那は兄貴より年上なので。
病院行ったら6時過ぎで夕食時間でおかあはナースセンターで車椅子に乗ってご飯食べてました。
自分で食べてました。
看護婦さんが僕来たので、おかあを病室まで戻してくれて、僕はおかあがご飯食べるのをじっと見てました。
よぼよぼした手つきでなんとかお粥をスプーンで食べてました。
僕はおかあに「ちゃんと出されたもの食べなあかんよ!食べないと力入らないから」と言いました。おかあは「うん」と言ってました。
おかあがちゃんと食べてる所見れてよかったです。
歯磨きするのも見て、僕は病院を出ました。
夜7時半くらいに沼津インター乗ったら、いきなり大渋滞で名古屋くらいまでずっとトロトロ運転でした。
大垣着いたの夜12時ちょい前くらいで、流石に疲れました。
きょう、東京の兄貴が仕事休んで土肥まで行って、役場に介護保険申請書出しました。
以前出した時はまだおかあも身の回りのこと自分でやれてたので、ランクも一番軽いランクだったので、そのままにしてたら、機嫌切れてたので。
要介護の判定が出たら、介護施設に入るにも安く入れると聞いたので。
でも退院したら、兄貴はおかあを東京に連れて行くと言ってました。
東京の兄貴の家の近くの介護施設に入れると。
そうなると土肥の実家も引き払うことになります。
僕が中学、高校と過ごした土肥は岐阜の次の第二の故郷なので、それがなくなるのはなんだか寂しい感じです。
後輩達も居るので。
時は流れてるんだなぁと思いました。
[PR]

by gohonngigoro | 2009-01-05 19:50 | その他 | Comments(0)


<< ご無沙汰      今年を振り返る >>