2005年 05月 27日
新・悪名(1962)!?
きょうのニュースでフィリピンで旧日本兵が2人生存しているとやっていて、
その生存者の家族の人が、戦死したはずの人の墓に行って、墓を掃除してる家族の人にマスコミの人が質問で、
「このお墓、どうしますか?」の問いに、
「帰って来たら相談します。」という映像を観たら、
勝新太郎の「新・悪名」のシーンを思い出しました。
「新・悪名」の前作の「続・悪名」で召集令状が来て、戦地に向かった朝吉(勝新太郎)
が戦後日本に引き上げて、故郷の八尾に帰って来たら、自分はすでに戦死したと家族に知らせが来てて、墓まで建っていて。
家族は元気に帰って来た朝吉を見てびっくりするは、喜ぶはで。
幼なじみの仲間に自分の墓を「こんなけったくそ悪いもん、抜いてまえ!」と
墓石を抜くシーンがあります。

結局フィリピンの旧日本兵の2人と外務省?大使館?の人達と面会はできなかったみたいですが。
日本のマスコミが大勢現地に詰め寄ったせいで、仲介人の人も腰が引けたのか?
2人が住んでる山中はゲリラの連中がいっぱいいて、上手く接触できなかったようで。

第二次大戦もフィリピン沖ではアメリカ軍の南方からの総攻撃で日本兵は2万5千人が戦死したとやってました。
そんなフィリピンのジャングルの中で終戦を迎え、運良く日本に引き上げて来れた人達は幸運だったと思います。
テレビで見つかった2人と同じ30師連隊の生き残りの人が出てましたが、みんな80代半ばから90歳近くで今だに元気で御存命でびっくりでした。
戦時中、フィリピンで戦った日本兵は、ろくに食料や武器の調達もままならない状況で戦ったのを思うと、めしも食わずにフラフラになってジャングルをさまよっていたんだと思うと、この地で死んで行った戦友の分も生きようという気持ちなのか?
長生きされることはたいへん良いことだと思いました。
僕らの世代だと食べるものが変わって、60歳まで生きれるか?みたいですから、
大正生まれくらいの人は元気なんだと思います。
物がない粗食の時代を過ごして来た世代は身体が丈夫なんだと思います。
そういった戦争経験者の体験談とかを聞かせてもらうのも、
次の世代に戦争というのは、どういうもので、いかに平和が大事かを伝えてもらえる唯一の生き証人なので、貴重な存在です。

話がごちゃまぜになってしまいました。
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by gohonngigoro | 2005-05-27 23:49 | その他 | Comments(0)


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