2005年 06月 10日
プロ野球の叔父ちゃんとの思い出
今度の日曜、おとうの三回忌法要があるので、つい思い出してしまったのが、
おとうの弟、僕の叔父の話ですが。
僕の叔父(佐々木宏一郎)は元プロ野球で20年間ピッチャーやってと前に
「小説のようなもの」に書いたんですが、
後年おとうから泣きながら聞かされた、叔父ちゃんが昭和36年に当時の大洋ホエールズに入団テスト行った時の話や、大洋に入団したけど1年で自由契約でクビと宣告され、意気消沈で岐阜に帰ってきて、その後近鉄バッファローズの入団テスト受けて見事合格した時の話を書きたいと思います。

昭和36年秋。
叔父ちゃんは岐阜短大付属高校の3年で、野球部でピッチャーをしてましたが、
甲子園にも行く機会もなく、一応社会人野球からスカウトの話は来ていたけれど、
前年の35年は大洋ホエールズが優勝して、その優勝の貢献者の秋山登投手(下手投げ)に叔父ちゃんは憧れていたので、当時ドラフト制度がない時代だったので、
高校時代の思い出にと大洋ホエールズの入団テストを受けることにした。

まだ新幹線もない時代で岐阜の大垣から夜行列車で川崎に僕のおとうが付き添いで
行った。
入団テスト当日、何百人かいるテスト生の中から、除除に人数が絞られて、
ピッチャーでも数えるだけになった。
叔父ちゃんはちょうど同じ頃、鳴りもの入りで大洋にスカウトされて入って来た、
松原誠(外野手で注目の打者)がいて、大洋のコーチ陣に松原を相手に投げてみろと言われて、叔父ちゃんはマウンドに向かい勝負した。
結果は内野フライで終わった。
テストが終わり、叔父ちゃんと付き添いのおとうは、これで良い思い出作りができたと
岐阜に帰るつもりだった。
泊まるほどのお金も持ってなかったからだ。
帰りの電車賃くらいで。

そしたら、大洋の球団関係者が是非球団合宿所に泊まっていって下さいと言われた。
叔父ちゃんとおとうは考えたが結局泊まっていくことにした。
翌日、おとうが球団関係者に「弟はどうでしょう?」と聞いたら、
「是非うちの球団に入ってもらいたい」と言った。
叔父ちゃんもおとうも大喜びでした。
当時は契約金と言っても今とは随分違うので、今の金額で例えたら100万円くらいもらったらしいです。

そして、プロ野球のキャンプシーズンに入り、順調に調整できて無事にルーキーシーズンは1軍で投げることができました。
唯一1勝しかできませんでしたが、初勝利した時はそれは叔父ちゃんもおとうや祖父母も喜びました。
やがてシーズン終了で新たに社会人野球から佐々木吉郎というピッチャーが入って来ることになり、「同じチームに佐々木は二人も要らない」と当時の三原修監督に言われ、
叔父ちゃんは自由契約になりました。
三原監督は口の悪さは球界でも評判の人だったそうで、一度言い出したら後に引けない強情な性格だったようで。
コーチ陣も困惑していたそうです。
意気消沈で荷物まとめて、球団合宿所を後にして岐阜の実家に帰って来た時は、
祖父母、おとうに向かって、「大洋、クビになった。」と涙流して言ったそうです。
大洋の1軍コーチや2軍コーチが叔父ちゃんを心配して、他の球団でもテスト受けたらどうだ?と言ってくれたので、おとうが叔父ちゃんに「他の球団受けてみるか?」と聞いたら、「受けてみる」と叔父ちゃんは言ったので、後日近鉄バッファローズのテストを受けに行くことになった。

再びおとうが付き添いで叔父ちゃんが近鉄の入団テストに向かう日、
普通電車で大阪に向かう途中、滋賀県の大津駅に電車が止まると、
ホームから各車両をのぞき、人を探している人がいた。
大洋の2軍のコーチだった。
叔父ちゃん達は大洋のコーチだとわかった途端、ホームに出た。
コーチは叔父ちゃんの手を取り、

「いいか!佐々木くん!君は絶対プロでやっていけるから、
              絶対、絶対、負けるんじゃないぞ!」

と涙流しながら、激励しにわざわざ川崎から追いかけて来てくれた。
叔父ちゃんもおとうも嬉しくて、涙流して感謝した。

そして大津の駅でコーチと手を振って別れて、大阪に向かった。

藤井寺球場でテストが始まった。
おとうはバックネット裏から、叔父ちゃんがテスト受けてるのを心配しながら、見守っていた。
叔父ちゃんはまだ高校を出て1年しか経ってないので、痩せてて、大洋をクビになったショックでしょんぼりした顔でやっていた。
ネット裏から、おとうは叔父ちゃんを呼び、「元気出してやれ!コーチとかなんか言ってるか?」と聞いたけど、結果がよくわからなかった。
しびれを切らしたおとうは、球場の監督室に向かい、当時監督の別当薫監督に、
「私の弟はどうでしょう?やっぱりダメでしょうか?」
と聞くと、別当監督は、
「いや、佐々木くんはうちが預からせてもらいます。」と言ってくれた。
おとうは再びネット裏に行き、叔父ちゃんを呼んだ。
「コーチャン!別当監督、佐々木くんはうちで預からせてもらいますと言ってくれたぞ!」と言うと、それまでしょんぼりしてたのが途端にニコッと笑顔になり、元気を取り戻した。
そして正式に近鉄バッファローズに晴れて入団となった。
その後は段々先発、リリーフと使ってもらえるようになって、近鉄のピッチャーのローテーション入りできた。
二桁勝利できるようになって行きました。
昭和44年のオールスターゲームには初めて選ばれて、当時の王、長嶋相手に投げたと
後年おとうから聞きました。
翌年の45年、10月6日には野村監督率いる南海相手に完全試合を達成しました。
その時の近鉄の監督はあの大洋入団時の三原修監督でした。
なんとも因果なめぐり遭わせだと思いました。
その年の成績は17勝5敗で最優秀勝率賞をもらいました。
叔父ちゃんが一番輝いていた時でした。

僕はその頃まだヨチヨチ歩きだったので、当時の全盛期の叔父ちゃんを知りませんでした。
後年おとうから聞かされました。
今度の日曜、そんな今は亡き叔父ちゃんの話を聞かせてくれたおとうも亡くなって、
七夕の日でもうすぐ丸2年になります。
月日の流れが早く感じます。
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by gohonngigoro | 2005-06-10 23:31 | 小説のようなもの(自伝) | Comments(12)
Commented by sing-sing-diva at 2005-06-11 17:51
いい話ですね。
頑張る人には神様がチャンスを与えてくれるんですね。
出会いとか選択肢とか。
周りで応援する人の熱意から、叔父ちゃんの人柄が感じられます。
きっといい人だったんだろうな・・・って。
大洋は、ホントはクビにはしたくなかったはず。
三原監督は「バカなこと言っちゃったよ・・」って密かに反省してたかもしれないね;
Commented by EILEEN at 2005-06-11 18:44 x
先日は拙ブログにコメントいただきましてありがとうございました。
 お誘いに乗りまして早速読ませていただきました。身内の方だから分かるエピソードに感動しました。
 大洋のコーチがわざわざ川崎からやってきた、なんて涙無しには読めませんでした。「人生あきらめてはいけない」そんなことを佐々木投手は教えてくれます。
 さて五郎さんのブログ、読み応えがあって素晴らしいですね。是非私のブログのリンク集に入れさせていただきたいのですがいかがでしょう。
Commented by キングあおぽん at 2005-06-11 21:28 x
ええっ!あの「完全試合男」佐々木宏一郎投手の甥っ子さんですか!
さすがに私もリアルタイムでは活躍している姿を拝見したことはありませんが、1980年か81年頃まで(たしか南海ホークスで)プレーしていたのを覚えていますよ!
しかし、光のあたらない部分には影が存在するのですね。
大投手にそんな物語があったとは・・・
叔父ちゃんも三原監督も、今頃天国で野球談義で盛り上がっているのかも知れませんね。
Commented at 2005-06-12 12:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gohonngigoro at 2005-06-12 14:56
divaさん>叔父ちゃんはやさしくて良い叔父ちゃんでした。おとうと一回りくらい年が離れてたので、おとうが親代わりみたいでした。
叔父ちゃんが小さい頃はおとうが星一徹みたいにキャッチャー役で叔父ちゃんをしごいてました。
20年間一度も2軍に落ちることなくやってこれたのは、夏でも肩を冷やさないように長袖シャツを着ていたからか?
Commented by gohonngigoro at 2005-06-12 14:59
EILEENさん>僕のブログで良かったら、リンクに貼ってもらっていいですよ。
僕のブログは音楽・映画・自分のこと、日々バラバラですが。
僕はブックマークに入れさせてもらいました。
今後ともよろしくです。
Commented by gohonngigoro at 2005-06-12 15:03
キングあおぽんさん>叔父ちゃんのこと知ってる人は40代以上くらいだと思いますが、、、。
'81年に引退しました。その時は南海ホークスでした。
僕のブログのカテゴリの「小説みたいなもの」で以前叔父ちゃんのこと書いたのでよかったら見て下さい。
Commented at 2005-06-13 12:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by キングあおぽん at 2005-06-13 14:07 x
>叔父ちゃんのこと知ってる人は40代以上くらいだと思いますが、、、。
 
いや、存じております。
私は1970年生まれなのですが、7~8歳くらいから野球に興味を持ち、選手名鑑を宝物のように毎日読んでおりましたから。
だから「叔父ちゃん」が投げている姿はあまり記憶にありません。仮にテレビで観たことがあるとしたら晩年ですね。
サブマリンということは、知識として知っておりました。
若くして亡くなったんですね。残念です。
Commented by gohonngigoro at 2005-06-13 18:58
僕は1968年生まれです。あおぽんさんと同世代ですね。(笑)
僕も選手名鑑とか持ってました。
パ・リーグはテレビで中継やってなくて、スポニチの試合速報を電話で聞いて、「きょうは叔父ちゃん投げてる!」となると夜11時過ぎのプロ野球ニュース見たりしてました。
Commented by 通りすがり at 2012-08-14 01:04 x
佐々木宏一郎さんについて調べていたらこの記事を見つけました。
私の母は昔佐々木宏一郎さんがやっていたスナックで働いていて、マスターをされていた佐々木さんは身体は大きいのに気が弱くて、とても優しい人だったとたまにその当時の話をしてくれます。
まさか甥っ子さんのブログが見つかるとは思いませんでしたが何かの縁かと思いコメントをさせていただきました。
Commented by gohonngigoro at 2012-08-16 01:10
通りすがりさん>
コメントありがとうございます。叔父も天国で喜んでると思います。


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