2005年 09月 06日
LOUDNESS/HURRICANE EYES
c0014453_4382094.jpg
LOUDNESS / HURRICANE EYES (1987Release)
中学生の頃から聴いてた日本を代表するヘヴィメタルバンド、「ラウドネス」
'85年の「THUNDER IN THE EAST」で全米デビューして、日本のバンドも海外に出て行くなんてすごいな〜と当時思ってました。
僕は'84年の「撃剣霊化」から聴き始めて、高崎晃のギターをよくコピーしてました。
「クレイジー・ドクター」「夢ファンタジー」とかは特に思い入れがあるし、盆正月に伊豆の実家帰った時に後輩でまだ趣味でバンドやってる連中と「クレイジー・ドクター」「夢ファンタジー」とか今だにバンドで合わせたりします。
1987年、僕は高校を卒業して東京に上京し、社会人の第一歩を歩み始めた年です。
その年の秋、ちょうど今頃にリリースされたラウドネスの「ハリケーン・アイズ」。
前作の「シャドウズ・オブ・ウォー」もアメリカナイズドされた音、楽曲でしたが、
二井原実のボーカルが弱いというか?バックの演奏に押されて、奥に引っ込んだ感じでちょっと不満でした。
で、「ハリケーン・アイズ」を聴いたら1曲めの「S.D.I」から、ボーカルが前に出た感じで二井原のボーカルもパワフルというか?ヤケクソなのか?前作とえらい力の入り具合が違うな〜と思いました。
プロデューサーもジミ・ヘンとかやってた、エディ・クレイマーで、「すげえな〜」と思いました。
80年代前半の日本のレコーディング技術って、まだ海外よりも劣ってたので、ドラムの音とかこもってたり、ギターの音もなんか抜けてないというか?
でもラウドネスは「撃剣霊化」くらいから、海外のプロデューサーやエンジニアを使ってレコーディングしてたので、音がまさに外タレの音でした。
でも日本のバンドが海外に進出する時に必ずネックになるのがボーカルの英語力です。
二井原も例外ではありませんでした。
結局このアルバムのあと、ミニアルバム?の「ジェラシー」を出したあとに二井原は脱退してしまいます。
日本のバンドが海外で勝負しようとなると、その辺はやはりシビアになってしまうのは仕方ないように思います。
でも、「ハリケーン・アイズ」での二井原の頑張りは褒めてやりたいです。
僕もこのアルバムを聴いていた当時、18歳でした。
当時付き合ってた一つ年上の彼女と別れたばかりで、傷心してた時だったので、
このアルバムを聴くとその頃を思い出します。
その後僕も東京でハードロックのバンドを組み、ライブハウスとかに出てライブやってました。
'91年のある目黒のライブハウスに出てた時、偶然客席に二井原実がいて、僕らのライブを観てて、終わったあと、楽屋に二井原が「良かったよ〜!(笑)」と入って来た時はびっくりしました。
中学高校時代にさんざん聴いていたラウドネスのボーカル、二井原が僕らのライブを観て「良かったよ〜!」なんて言うなんて!と感激と嬉しさと緊張で何話していいのか?
わかりませんでした。
僕はそっけなく「あっ、どうもです」と言っただけだったような。
あとで、もっと話して、友達になっておけばよかったと、後々になって後悔しました。
そしたら、もしかして一緒にバンドでもやってたかも?とあらぬ妄想を思いめぐらせてました。
月日が経って、ラウドネスもオリジナルメンバーで再結成して活動してもうだいぶ経ちますが、ベテランバンドがそうやって長く活動してるのは良い励みになります。
でも最近のやってる音楽はちょっとヘヴィで重過ぎですが。
僕くらいの世代ならば、やはり80年代の頃のラウドネスは別格で思い入れもすごいあるので、あの頃のような曲をまたやってほしいです。

ラスト曲「SO LONELY」は、「撃剣霊化」の時の「アレスの嘆き」のリメイク曲で「ハリケーン・アイズ」の時も良いですが、元バージョンも良くて、ファンとしてはどちらも良いです。
[PR]

by gohonngigoro | 2005-09-06 05:14 | 音楽全般 | Comments(8)
Commented by nervous-breakdown at 2005-09-06 09:43
ラウドネスのボーカルと言ったら、やっぱり二井原さんというイメージが強いです。二井原さんに声をかけてもらうなんて凄いですよ!
初期のラウドネスは良く聞きましたょ。外人ボーカルや山田さん(元フラットバッカー)の時、そんでもって現行の音はちょっと僕にはついていけない音ですね。

関係ないですが、高校時代に当時VowWowのVo.だった人見さんにお会いしたことがありますが、かなり良い人でした。
Commented by gohonngigoro at 2005-09-06 13:22
声かけられた時、THIRDSTONEの時です。その前のSHAPES OF THINGSの頃はアンセムのヒロヤ(G)がFINGERというバンドやってる時対バンして、電話で話したり、ヒロヤの彼女と仲良くなったり(笑)、STILL ALIVEと対バンしたり、マルコシアス・ヴァンプの佐藤さん(B)となかよくなったり、、、。
向こうから声かけてくれるのが多くて、かなりプロの世界に接近してたように思います。上手くチャンスを活かせなかったのが心残りです。(苦笑)
ラウドネスは僕ら世代にとっては80年代のジャパメタの中では別格でしたね。(笑)二井原抜けたあとのラウドネス聴いてないのでわかりません。
Commented by キングあおぽん at 2005-09-06 21:31 x
しかし、精力的に活動されていたんですね。
二井原さんとお話できたなんて、凄い!
私にとっても、ラウドネスは別格です。やはりVoは二井原さん時代が最高です!
Commented by nervous-breakdown at 2005-09-06 21:42
またまた五郎さんにびっくり仰天です(笑) 
あまり記憶が定かじゃないのですが、僕が「Third Stone」を拝見したのは多分目黒のライブハウスだったかと思います。結構目黒では演奏してましたか? 
「Still Alive」は「いっつぁん」さんが在籍していたバンドですよね? FingerのVo.はトニーさんでしたっけ? アンセムもヒロヤさんがギターの時が一番好きでした。 マルコシアスヴァンプの佐藤さんって、帽子被ってた人でしょうか?(汗) 
ホント、かなりプロの世界に接近してましたねぇw プロになるのって、技術以上にチャンスや運が必要なのでしょうねぇ^^; 
五郎さんもまだまだチャンスはありますよ!応援してますよ!
Commented by gohonngigoro at 2005-09-06 21:43
あおぽんさん、どうもです。
東京でバンドやってた頃は、幸運なことにプロのミュージシャンと遭遇する機会が多かったように思います。
Commented by gohonngigoro at 2005-09-06 22:00
nervous-breakdownさん、またまたどうもです。
目黒のライブステーションで僕(THIRDSTONE)を観たんですか!?目黒でやってた頃はTHIRDSTONE初期の頃です。
その後池袋アダム、恵比寿ギルティ、渋谷ラ・ママとか出てました。
STILL ALIVEはBのいっつぁんが在籍してました。いっつぁんはSTILL ALIVE脱退後、鈴木彩子のバックバンドでしばらく弾いてて、その後THIRDSTONEに入りました。その前の僕がSHAPES脱退した時に僕といっつぁんと元DANCERのDrのタクオさんと三人でバンド組もうか?となったこともあって。FINGERのVoは元DANCERのトニーさんでした。アンセムのヒロヤと電話でギターの音作りの話やラウドネスの高崎晃の話とかしました。(笑)マルコシアス・ヴァンプのBの佐藤さん(ガキデカみたいな帽子に手袋してベース弾く)とはTHIRDSTONEの練習スタジオとマルコシアス・ヴァンプが同じだったので、知り合いました。THIRDSTONEのデモで佐藤さんにB弾いてもらったり。
今じゃ岐阜の田舎に引っ込んで僕も落ちぶれました。(泣)
枯れる前にまた東京に戻りたいです。
Commented by DW at 2005-09-20 08:15 x
TBさせていただきました。丁寧なコメント、ありがとうございました。
ラウドネスに目覚めたのは1991年(=中学3年)、不覚にも、ソルジャー・オブ・フォーチュンです。もちろん、時代をさかのぼり歴史を勉強しました。中3~大学3年まで、ラウドネスのコピーバンドは続けました、他のバンド活動があっても。周りにラウドネスを知ってる同世代はゼロに近いし、ライブハウスさんからは「なつかしいね~」なんて言われたり。なによりも、ひぐっつあんがSLYにいた時がツラかったですが、再結成LIVEを見れて、安心して、それから追っかけるのを辞めました。。。今のヘヴィーなラウドは「?」ですが、ラウドネス・ひぐっつあんはリスペクトしてます。長文、すみませんでした。
Commented by gohonngigoro at 2005-09-20 17:54
DWさん、どうもです。
僕と7つくらい年違うみたいですが、相当なひぐっつぁんのファンみたいですね。'94年頃ひぐっつぁんの弟子のバンドが原宿ルイードでライブやる時観に行ってて、ひぐっつぁん間近で見ました。
また見に来て下さい。


<< THIN LIZZY      FISA世界ボート選手権 >>