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2006年 05月 06日
また実家行って来ました。
3日の夜10時に車で岐阜の大垣から高速乗って、
西伊豆の実家に着いたのが4日午前2時でした。4時間かかりました。
軽自動車なのに時速140キロで駆っとんで帰りました。
昼間より夜のが高速道路も空いてるので。
ここからは日記のように書きたいと思います。

5月4日(木曜)
朝8時過ぎに起きて、おかあと朝ご飯食べるので僕が味噌汁作って食べました。
10時半くらいに町のスーパーに食材を買い物しに行きました。
実家に帰るたびに行くんですが、ミツダ水産という鮮魚卸屋にマグロとイカの刺身を買いに行きました。
観光土産屋の駐車場に車を止めて、おかあは車の中で待ってて、僕がミツダに買いに行くと、おかあと同じ町営住宅に住んでる店員の若い男の子が、
「おばさん、最近見ないですが元気ですか?(笑)町営住宅であまり見ないので」と。
僕、
「最近は沼津の姉の所に行ってるのが多いので、盆正月やGWとか僕が帰って来る時だけいるんで。」
なんて会話をしながら、刺身を包んでくれました。
気のやさしそうな子でした。
僕も盆正月GWに必ず買いに行くので、いつの間にか顔を憶えてもらいました。
刺身をもらって、車の所に戻ると暑かったので、土産物・食事出来る店でソフトクリームを売ってたので、おかあに「ソフトクリーム食べる?」と聞くと、「食べたい」と言ったので2個買って車の中で食べました。
僕もおかあも久しぶりにソフトクリームを食べました。
僕の車のガソリンがなかったので、生前おとうがよく利用してたガソリンスタンドに寄って満タンに入れて、そこのおばさんがおかあを見るたびに「元気出しなよ!良い息子さんがいつも来てくれるからいいね〜」と。
会うたびにそこのおばちゃんは、おかあを励ましてくれます。
長年その町に住んでた故の人情味というか?生前のおとうの人柄で僕ら親子も良い印象を持ってくれてるみたいです。
その後家に戻り、おかあが「ゴーヤチャンプルが食べたい」と言うので僕が作ってやりました。昼ご飯食べて、しばらくしておかあと昼寝しました。
風呂に入りさっぱりしてた夕方、後輩のドラムやってるTから電話があり、
「今晩山昇りますか?」と。
山小屋の練習場で合わせるか?という意味で。
「じゃあ8時半ということで」と言って電話を切り、晩御飯の支度して食事を済ませて山に昇りました。
正月に合わせた以来でベースのS、ドラムのT、若いギターのYくん、
そしてヴォーカルのKと久しぶりにバンドで合わせました。
WHITESNAKEの「CRYING IN THE RAIN」「BAD BOYS」AC/DCの「BACK IN BLACK」OZZYの「CRAZY TRAIN」LOUDNESSの「SOLDIER OF FORTUNE」「CRAZY NIGHT」「DREAM FANTASY」「アレスの嘆き」EARTHSHAKERの「RADIO MAGIC」、
後輩達のオリジナル曲2曲。
合わせた曲数えたら12曲くらいありました。
僕が昔作った曲の「Believe In You」もやりました。
2時間半くらいやって、いつものように山を下って町の居酒屋に行ったら、いつも行く居酒屋がGWだからか?満席でいつもと違う居酒屋に行った。
他愛も無い話をわいわい話しながら、家に帰ったのが午前2時でした。

また実家行って来ました。_c0014453_21124753.jpg



また実家行って来ました。_c0014453_21161684.jpg











5月5日(金曜)
朝10時頃目が覚めて、昼ご飯をおかあと食べて、ごろごろしてたら天気も良いので、おかあを連れてドライブしに行きました。
黄金崎という所に行きました。でもおかあは歩くのがえらいから車の中で待ってるというので、僕一人で断崖絶壁の所を観に行きました。


また実家行って来ました。_c0014453_20523079.jpg


その後家に帰ってから、前日後輩達と話してたら、3月にライブやったビデオがあるので、ベースのSの家に見せてもらいに行きました。
Sと音楽の話やら仕事の話やらいろいろ話しました。
みんな大変だな〜と思いました。自分もですが。
Sは30歳でバンドを通じて、僕と知り合ったので僕のことを慕ってくれて僕も嬉しいです。
後輩達も所帯持ってたり、仕事だったりそれぞれの生活があるにもかかわらず、今夜も山昇ってバンドで合わせられるか?となって、結局昨夜に引き続き山小屋で合わせることになった。
ヴォーカルのKは都合悪くて来れませんでしたが、他のメンバーは来れたのでまた合わせました。自分でもよくやるわ〜と思いました。
まさか2日連チャンでバンド合わせるとは!?(笑)
それだけ後輩達もたまにしか僕が帰って来ないので、合わせられることが嬉しいようで、僕もそう思ってもらえて嬉しいし、楽しいです。
ギターのYくんは前に一緒にバンドやってたGの子も連れて来て、あとドラムのTの昔ちょこっとドラムを教えてた女の子も見に来て。
バンドで遊んで、また毎回行ってる居酒屋に行って、あれこれと音楽の話とかわいわい話しました。
ドラムのTは35歳、ベースのSは30歳、ギターのYくんは24歳、女の子も24歳とかで全然学年が違うのに、音楽を通じてなんとも不思議な巡り合わせで集まって飲み食いしながらバンドやったりして話したりで。
つくづく好きな音楽を続けて来たから、こうやって世代が違っても集まって話したり出来ることに感謝というかありがたいな〜と思いました。
ベースのSは昼間、僕と二人っきりであれこれ話せて嬉しかったですなんて言ってくれて、僕もいろいろ話せて嬉しかったし、楽しかったです。
人の巡り合わせって、本当に不思議だな〜と思いました。
メンバーもそれぞれ所帯持って、嫁さん、子供がいて、子供が小さいと急病になったら病院に連れて行ったり、ちゃんと親の務めをしながらでも、僕が実家に帰って来るとみんな集まってくれて、大した自分じゃないのに僕のことを慕ってくれるのにはほんとに感謝してます。
良い仲間も持って嬉しいです。
居酒屋でいろいろ話して、「今度はまたお盆にでも!」と言って別れてまた家帰ったのが午前2時でした。
次の日仕事の人もいたりで、みんな元気だな〜と思いました。

5月6日(土曜)
また朝10時頃起きて、風呂入って、昼ご飯をおかあと食べて、あっという間の3連休もきょうでおしまいで、昼過ぎに荷物をまとめてたら、おかあが一昨日買い物した食材の余ったのを「ひろしくん、これ持って帰り!」と。
おかあも沼津のおねえの家に行くので、家に置いておいても仕方がないからということで食材を車に積んで。
おかあを沼津のおねえの家に送って、いつものように僕が車で帰るのを道路脇に立ち、いつまでも手を振ってました。恒例の風景です。
「着いたら電話して〜よ!」と。
沼津インターから高速道路に入って、7時ちょい前に大垣に着きました。
おかあに会いたい一心でいつも盆正月GWと帰る自分。
おかあ(73歳)もパーキンソン病なので、次に会う時は変わりないか?自分の目で見て確認したいがために帰るようなものです。
おかあも「おかあちゃんもいつボケるか?わからんで。ボケたくないけど」と。
身体がだるかったり、息苦しかったり、足が痛かったりとかあるみたいで、自分がそうなったことないので、おかあの身体がどんな状態か?わかりませんが、意識がはっきりしてるうちに帰れる時に帰って顔を見せてやろうと思ってます。
本当はおかあは沼津のおねえの家に行きたくないけど、一人で生活してると調子悪い時に一人で居ることが不安だからというのと、おねえが大変な思いして主婦業、パートで働いたりで子供3人もいるから、ちょっとでもおかあはおねえを助けてやろうと思って行ってるようなものです。
おかあは、「ほんとなら、ひろしくんがおかあちゃんと住んでくれるといいんやけどな〜」と言われましたが、実家の町には僕が働けるような仕事がないのと、あっても給料が安過ぎてやっていけないので辛い所です。
僕はおかあが元気で生きててくれるだけでありがたいし、おかあも僕が元気で暮らしていてくれるのをいつまでも願っていて、あと僕に良い彼女が出来る事を切に願ってるようで、それを言われるとなんとも返事のしようがないです。
どこの親も同じだと思いますが。
親と離れて暮らしてるから、余計に親の存在がありがたく思います。

すっかり長文になってしまいました。

by gohonngigoro | 2006-05-06 21:49 | 小説のようなもの(自伝)


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