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2006年 07月 05日
3年前も雨だったような?
きょう仕事で10時の休憩で外に出てたばこを吸って外を眺めていたら、雨が降っていて、ふと3年前のおとうが肺がんで亡くなる前を思い出しました。
「3年前も雨降ってたな〜」と。
前にも書いたけど、また書きます。
亡くなる3日前におねえから電話があり、僕は急いで新幹線で順天堂伊豆長岡病院に駆けつけました。
個室に移ったらもう長くないと聞いてたので。
おとうはもうその時、話す事も出来ずに首を縦か横に振るくらいしか出来ませんでした。
でも僕が病室に行くと、おとうは意識がもうろうとしてても、ニコッと笑顔で返事してくれました。
入院して1ヶ月くらいで、その間おかあは毎日家からバス、電車、バスと乗り継いで病院におとうの看病に来てたので、おかあの身体も心配でした。
7月4日は東京のおにい、沼津のおねえも来て、遂にダメか?と思ったんですが、なんとか持ち越してくれて、おにいはそのまま見舞って一旦東京に戻り、おねえも沼津に帰り、僕とおかあも実家に帰りました。
翌日(7月5日)、僕はおとうの車を運転しておかあを乗せて病院に行って、その日は病院に泊まりました。でも個室には看病用のベッドが一つしかないので、そこにはおかあが寝て、僕は駐車場の車の中で寝ました。7月でまだ梅雨も明けてなかったので、エンジンをかけてクーラーつけて、寝心地の悪い状態で寝ました。
翌朝(7月6日)病室に行ったら、おとうも目を開けてたので、僕は「昨日は駐車場の車の中で寝た」と言うと、おとうはニコッと笑顔になりました。
おとうも小康状態で容態が安定してたので午後2時か3時くらいに、おかあと僕は、「おとうもしばらく落ち着いてるから看護婦さんに任せて帰ろう」となって、帰りました。
夕飯を食べ、風呂に入ってもう寝ようか?と思った時に病院から電話で、
「お父さんが危篤なので、家族の人はすぐに来て下さい」と。
夜の天城峠をおとうの車を僕が運転して、おかあと病院に向かいました。
この時も雨でした。
初めて味わう、この変な気持ちは僕もおかあも同じように感じてたと思います。
病院に着いたら、おねえ家族が一足先に来てました。
看護婦さんが、おとうの呼吸が何度か止まったので、注射して再び呼吸出来るように必死に延命処置をしてくれてました。
東京のおにいが来るまで2時間はかかるので、おにいに電話してなんとか引き延ばしてもらおうとしましたが、注射打ってもすぐに呼吸が止まってしまうので、おにいに再度電話したら、「もういいよ!」と。
おにいが病院に到着して、おとうと対面した時に死亡の宣告をするということで。
おにいが病室に来たら、しばらくして先生が来て、
「7月7日、午前2時25分 ご臨終です。」と。
おにいが到着するまでの間、僕はおとうの頬や足を触りました。
どんどん冷たくなるのを肌で感じました。
おとうが息を引き取った時、僕はなぜか?涙が出ませんでした。
人間が死ぬということは、こういうものなんだと唖然としてたというか、自分でもどう対応していいのか?わからなかったからです。
おかあは「おとうちゃん!おとうちゃん!」と言って泣いていました。
おとうは子供の前で人間が死ぬということを自分の身をもって僕らに見せてくれました。
霊柩車におとうを乗せ、実家までおにいが先導して、霊柩車にはおかあが乗って、その後に僕が付いて行きました。
午前3時か?4時くらいでした。
その時も雨が降ってました。おとうの涙雨か?と思いました。
兄弟で初めてやる父親の葬式。
初めてずくしの経験でした。
あれからもう3年が経とうとしてます。
おとうは今頃、天国のどの辺りにいるんだろう?
おとうの兄弟、おじいさん、おばあさん達と一緒に仲良く暮らしてるんでしょうか?

7月7日は仕事から帰って来たら、僕が住んでるアパートからお墓まで30分くらいなので、お墓参りして来ようと思います。





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by gohonngigoro | 2006-07-05 20:49 | 小説のようなもの(自伝)


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