2006年 10月 02日
おじいさん
日付が変わってしまいましたが昨日、きょうとダブルヘッダーでした。
昨日もきょうも昼間の仕事は重いもの持ったりしたので、両腕、腰筋肉痛と、
足首までくじいたりで自分ももう年だなと思いました。
夜もバイトで昨日は11時半まで、きょうはさっき1時半頃帰って来ました。
きょうは賄いメシを僕がカルボナーラ作りました。
疲れてるけど、ブログ書くのは日課になってるので。
明日と言ってもきょう(2日)ですが急遽昼間の仕事が休みになって、
ちょっとは気が楽です。
昨日10月1日は僕の父方のおじいさんの命日でした。
おじいさんは81歳で亡くなったので、生きてたら106歳です。
昨日はおじいさんが亡くなった時のことを思い出してました。
前にも書いたかも知れませんが。

当時静岡の西伊豆の温泉町の観光ホテルの社宅に僕、おとう、おかあ、おじいさんと四人で住んでました。
僕はまだ中学1年でした。
昼間、学校に行ってる時におじいさんが社宅のトイレの水が止まらないからと言って、
その頃家に電話がなかったので、ホテルで働いてるおとうの所におじいさんは歩いて知らせに行きました。
歩いて15〜20分くらいでしょうか?
水道工事の人に修理に来てもらったか?どうか?記憶にないですが。
夜になって、おじいさんと僕は二人で晩御飯を食べました。
おとう、おかあはホテルの仕事から帰って来るのはいつも遅かったので。
風呂に入って、おとうもおかあも帰って来て、みんな寝てたらおじいさんが、
「○○〜!」とおとうの名前を呼んで苦しんでて、僕も寝てたけど、騒がしかったので目が覚めて。
おとうが慌てて救急車を呼びました。
救急隊員が担架でおじいさんを運んで近くの病院に連れて行く途中におじいさんはあっけなく息を引き取りました。心臓発作でした。
あっという間の出来事でした。
しばらくして、また同じ救急隊員の人達がおじいさんを運んで戻って来ました。

前の年(1980年)、岐阜で両親は鶏肉/総菜の商売やってたけど倒産して家族で夜逃げして、栃木の山奥に住んだり、流れ流れて静岡の西伊豆に住むようになって、夜逃げするまではずっとおじいさんと僕ら家族は一緒に住んでたけど、夜逃げの時、おじいさんも80歳と高齢なので愛知県にいる伯父の家に世話になることになって、しばらく僕ら家族と離ればなれで暮らしてたんですが、その間、おじいさんも身体を壊して病院に入院したりして、医者に「もう長くないです」と言われてたので、退院して僕ら家族が西伊豆に来た年(1981年)の6月頃、残り少ない余生だったので、おじいさんも来て一緒に住むようになりました。
おじいさんが亡くなる数日前にプロ野球選手だった叔父の佐々木宏一郎(南海ホークスでピッチャー)が20年の現役生活を終えて、打者一人だけの引退試合をテレビのプロ野球ニュースで見て、「よう頑張った!」とおじいさんも自分の息子の有終の美を見れて満足だったと思います。
叔父ちゃんの引退試合は水島新司(ドカべん)の漫画「あぶさん」で書かれてました。

話が飛びました。
無言の帰宅をしたおじいさん。
つい数時間前まで話してたのに、僕は初めて身内の人の死を直面して、ピンと来ませんでした。
横になったおじいさんの口から泡がポコポコと出てたのが印象的でした。
人間って、死ぬとこうなるんだと。

子供の頃、よくおじいさんにおもちゃ買ってもらったな〜。
おじいさんはパチンコが好きで、球が出た時は毎回チョコレートを紙袋いっぱい貰って来て、僕ら兄弟3人にくれたけど、末っ子の僕にはいつも余分にくれました。
夏休みにおじいさんとバスと電車に乗って、谷汲山にも行ったな〜。
家でおにい、おねえと見たいテレビの取り合いで、当時家にテレビが3台あって、僕はよくおじいさんの部屋にテレビ見に行ったりしました。30年くらい前の話ですが。
僕が少年野球でピッチャーやってた時もおじいさんはよく練習とか見に来てました。

おじいさんがいたから、おとうがいて、そして僕がこの世にいるわけで。
いつまでも、心の中で故人を思い出すことが良い供養になると思います。
この世でもあの世でも、ず〜っと心は繋がってると僕は思います。

やさしい良いおじいさんでした。
10月1日は、そんなおじいさんを思い出す日でした。
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by gohonngigoro | 2006-10-02 02:53 | その他 | Comments(0)


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