カテゴリ:自分( 4 )

2013年 09月 17日
ありがとう。
平成25年9月8日午後7時7分、母逝去。
享年80歳。
10年前におとうが亡くなり、そのショックでおかあはパーキンソン病になり、
入院して1年10か月、ずっと口から飲食出来ずに点滴と胃ろうだけで生きて来ましたが、
おかあが80年の生涯を終えました。
波乱万丈な人生でした。
僕は最後まで心配かけて、さぞやおかあも気がかりだったと思います。

これでおとうもおかあも天国に逝ってしまいました。
Facebookでは、いろんな方々からお悔みコメント、メッセージ、メールをもらい、ありがとうございました。
過ぎてみれば、あっという間の出来事で、両親を亡くした空虚感でいっぱいです。
一人になって、おかあの事を思い出すと泣けて来ますが、しばらくは仕方ないです。
小さい頃、おかあにいっぱいキスしてもらったのは忘れられません。
いっぱいの愛情をもらいました。

僕をこの世に産んでくれてありがとう、そしてお疲れ様でしたという思いでいっぱいです。
もう痛みも苦しみもない世界に行って、ゆっくり休んで下さい。
そして、天国から僕ら兄弟を見守って下さい。

合掌


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by gohonngigoro | 2013-09-17 18:33 | 自分 | Comments(0)
2013年 07月 07日
10年
今日は七夕。おとうの命日です。
もう10年経ちました。あっという間の10年でした。

亡くなる2日前に西伊豆の順天堂伊豆長岡病院に僕は岐阜から駆けつけて、兄貴、お姉、おかあ、僕と家族四人集まったけど、一旦容態が落ち着いて、兄貴とお姉は一度帰って、僕とおかあは7月5日は病院に泊まりました。
正確には、おかあは病室で寝て、僕は実家からおとうの車運転して来たので、駐車場でおとうの車の中で寝ました。
6日の朝病室に行くと、おとうは目を開けてました。
僕はおとうに話しかけました。
「おとう、昨日は車の中で寝たよ。」と言うと、おとうはニッコリ笑顔でした。
おとうの容態も落ち着いてたので兄貴に電話したら、「長丁場になるかも知れないし、疲れるから、一旦帰った方が良い」と言うので、僕とおかあは昼過ぎに病院を出ました。
実家に戻り、おかあと晩ごはんを食べて寝ようとしてたら、夜10時頃病院から電話があり、
「お父さんが危篤なのですぐ来て下さい」と。
慌てて、僕とおかあは病院に駆けつけました。
その晩は雨が降ってました。
病院に着いて病室に行くと、おとうはもう何度も呼吸が止まったりして、血圧も低くなって来てました。
看護婦さんが何度か注射して、呼吸を再開してもすぐ止まってしまって。
東京の兄貴に電話して、「病院の先生が兄貴が到着したら、死亡宣告します。」と伝えました。
兄貴が来るまで、僕はおとうの頬に手を当てて、冷たくなって行くのを感じました。
「おとう、今までありがとう。」と心で話しました。

2時間ほどで兄貴が到着して、先生から死亡宣告されました。

平成15年7月7日午前2時30分 ご臨終です。

おとうの71年の生涯が終わりました。

火葬する最後のお別れの時、僕はおとうに宛てたレポート用紙10枚に及ぶ手紙を棺に入れました。
僕は号泣しました。
普段気が強い長男の兄貴もいっぱい泣いてました。

兄弟で初めてやる葬式も無事終えることが出来ました。

後日おかあの大学ノートに書いてあった日記を見たら、葬式後の所に、
「子供たちがちゃんとおとうちゃんを送り出してくれて、おかあちゃんうれしかった。」
と書いてありました。

毎年七夕になると、あの時の事が走馬灯のようによみがえります。

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昨日仕事休みだったので、僕のアパートから車で30分の所にあるお墓までお参りに行って来ました。
手を合わせながら、おとうにいろいろ話しかけました。
心が穏やかになりました。
おとう、いつも天国で見守ってて下さい。
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by gohonngigoro | 2013-07-07 22:03 | 自分 | Comments(0)
2005年 04月 10日
散髪
4日ほど前に8ヶ月ぶりに髪の毛を切った。
それも自分で。
僕はここ10年以上自分で髪の毛を切っている。
経済的です。美容院とかに行けば、5000円くらい取られるので。
耳が隠れて、うしろも肩にかかるほどだったので。
これだと僕だとわからないですかね?
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by gohonngigoro | 2005-04-10 01:17 | 自分 | Comments(0)
2004年 12月 21日
自己紹介
東海地区在住の会社員です。イベント会社なんですが、今住んでる街に県のIT関係の施設があってそこにはイベントホールがあるので、そこに出向でホール管理として入って働いてます。ホールは大、小と二つあって、イベントと言ってもいろいろで、講演会、展示会、企業のプレゼン、会社のQC発表、子供のピアノ発表会、映画上映、朗読会などなど。僕はホール利用者と打ち合わせて、本番時の音響・照明・映像関係の準備、補助・設営/撤去等の指示の仕事をやってます。
もう今の仕事をやりだして7年になります。

それまでは、東京に11年住んでました。地方の県立高校を出て上京。7才上の兄がギターをやっていた(ブルーグラス)影響で13才の時からギターを弾き始めて、最初はビートルズからやがて洋楽ロック(ジャーニー、トト、マイケル・シェンカー、ゲイリー・ムーアなどのハードロック)とかギターでコピーしたりしてました。高校生くらいになると自分で作詞作曲して、住んでる所が田舎だったので楽器できる友達がいなくて、ギター以外のベース、ドラムも独学で覚えて自分の部屋で当時MTR(マルチ・トラック・レコーダー)なんぞ持ってなかったので、ステレオのダブル・カセット・デッキで全パート演奏してピンポン録音してました。高校を卒業して東京に出て最初は真面目に就職しましたがバンドがやりたくて間もなく辞めて、バイトしながらハードロックのバンド組んでライブやってました。
当時はバンドブームでイカ天とかテレビでやってた影響でバンドの数もいっぱいでした。それから月日は経ち、バンドは解散。自分を見失ってた頃、兄の古くからの知り合いで今働いてる会社の社長に誘われて今の土地に来ました。
今はバンドこそやってませんがギターは弾いてるのでたまにスタジオ入って、デジタル・レコーダー持ち込んでドラム自分で叩いて(打ち込みドラムが嫌いなので)、ベース、ギター録音してCD焼いたりしてます。

気が付いたら、すっかり年を取っておじさんになってしまいました。
また東京に戻ってバンドやりたいな〜と思ってます。
でもこの不景気の世の中、状況は厳しいです。
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by gohonngigoro | 2004-12-21 01:35 | 自分 | Comments(1)