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2005年 03月 30日
束の間の実家
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僕のやってる仕事は休みが不規則で、連休取れるのも極まれで。
たまたま28、29と休み取れたので伊豆の実家に車で帰りました。27日に仕事終わってから夜11時に岐阜を出て、実家に着いたのが午前3時でした。片道4時間でした。夜中に高速道路走ると、長距離トラックがビュンビュン走ってて、結構怖いですが、高速降りて伊豆の田舎道とか空いてるので走りやすいです。
天城を過ぎて、山道はトンネルが多いんですが、反対車線も進行方向にも車が無くて、僕の車だけで。長いトンネル走ってると、映画「2001年宇宙の旅」の最後の方の映像、または「猿の惑星’68」の冒頭の宇宙船が不時着するシーンを思い出してしまいました。
危ないのわかってたけど、思わず携帯カメラで撮ってしまいました。
トンネル内だから、心霊写真とか写ってないか?心配しましたが大丈夫でした。





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28日の天気は雨だったので僕は昼まで寝て、母と昼食を取ってから午後食材の買い物に行きました。夕方地元に居る二個下の後輩のドラムから電話があって、夜8時から山小屋のバンド練習場で集まる約束をして。
それまでの間、僕は母がスパゲッティが好きなので、僕がミートソースを作ってやって、パスタも茹でて1人前ずつラップして冷凍庫に入れて、ミートソースもタッパに入れて、冷凍していつでも電子レンジでチンして食べれるようにしてやりました。
僕と母はひと皿ずつスパゲッティを食べて。
作ってる時、亡き父も料理作るの好きだったので、父が見てる気配がしました。
あとゴーヤチャンプルと大和いもをだし汁で混ぜて、とろろ御飯も。

夜になって、後輩が呼びに来たので一緒に山小屋に行きました。今回は正月来れなかったギターも来て喜びの再会で。僕らが集まって演奏するのはいわゆるヘヴィメタルなので、日本のバンドのラウドネス、アースシェイカーとかなので、次あれやろ〜!と言って演奏して楽しんでました。正月にもやりましたが、その時に来てた20歳くらいのバンドやってる子達も再び来てて、その子達にも交代してやって演奏聴いてやったり。
2枚目の写真は後輩のドラムと、20歳くらいのギターです。
3時間くらい遊んで、最後に僕がギターで1曲何やろう?となって結局ラウドネスの
「CRAZY NIGHT」で後輩のボーカルは歌い疲れたのでギターがボーカルやって、ハイテンションで絶叫してました。(笑)曲の中で「M,Z,A!エムジーエー!」と叫ぶ所があるんだけど、ボーカルは「T,O,I!ティーオーアイ!」と叫んでて爆笑しました。
11時くらいでバンドは終了して、みんなで地元のいつも行く居酒屋に行きました。
バカ話やバンドの昔話やらいろいろ話してたら午前3時でした。
後輩達次の日仕事なのに、みんな良い連中ばかりで僕も楽しかったし、嬉しかったです。その後みんなと別れて家に帰りました。


翌日は11時に起きて、昼ご飯食べてから天気が良かったので、母を車に乗せてちょっとドライブに行きました。
午後2時に僕も岐阜に帰らないといけない時間で。
母は「五郎くん帰るとまたお母ちゃん一人になって寂しいな〜」と言われ、返す言葉に困りました。
荷物を車に積んで、「じゃあ、お母ちゃん、僕行くわ!」と言って走り出したら、母は道路の所まで出て、僕が見えなくなるまで手を振っていた。僕はバックミラー越しに映った、手を振る母の姿を見て、思わず涙ぐんでしまいました。


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車のMDでかけてた音楽がライ・クーダーの映画「Paris,Texas」のサントラで、ちょうどラストの「Dark Was The Night」がかかってたので、余計涙がこみ上げてきました。

翌日後輩のドラムとボーカルとメールと電話で話しましたが、僕の母がもしも動けなくなったら、後輩は「いつでも電話して下さい。なんかあった時いつでもお母さんを車で病院に送りますから」と言ってくれて、僕は涙が出るほど嬉しかったです。
良い後輩がいて僕は幸せだなと思いました。

by gohonngigoro | 2005-03-30 22:33 | 小説のようなもの(自伝)


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