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2013年 07月 07日
10年
今日は七夕。おとうの命日です。
もう10年経ちました。あっという間の10年でした。

亡くなる2日前に西伊豆の順天堂伊豆長岡病院に僕は岐阜から駆けつけて、兄貴、お姉、おかあ、僕と家族四人集まったけど、一旦容態が落ち着いて、兄貴とお姉は一度帰って、僕とおかあは7月5日は病院に泊まりました。
正確には、おかあは病室で寝て、僕は実家からおとうの車運転して来たので、駐車場でおとうの車の中で寝ました。
6日の朝病室に行くと、おとうは目を開けてました。
僕はおとうに話しかけました。
「おとう、昨日は車の中で寝たよ。」と言うと、おとうはニッコリ笑顔でした。
おとうの容態も落ち着いてたので兄貴に電話したら、「長丁場になるかも知れないし、疲れるから、一旦帰った方が良い」と言うので、僕とおかあは昼過ぎに病院を出ました。
実家に戻り、おかあと晩ごはんを食べて寝ようとしてたら、夜10時頃病院から電話があり、
「お父さんが危篤なのですぐ来て下さい」と。
慌てて、僕とおかあは病院に駆けつけました。
その晩は雨が降ってました。
病院に着いて病室に行くと、おとうはもう何度も呼吸が止まったりして、血圧も低くなって来てました。
看護婦さんが何度か注射して、呼吸を再開してもすぐ止まってしまって。
東京の兄貴に電話して、「病院の先生が兄貴が到着したら、死亡宣告します。」と伝えました。
兄貴が来るまで、僕はおとうの頬に手を当てて、冷たくなって行くのを感じました。
「おとう、今までありがとう。」と心で話しました。

2時間ほどで兄貴が到着して、先生から死亡宣告されました。

平成15年7月7日午前2時30分 ご臨終です。

おとうの71年の生涯が終わりました。

火葬する最後のお別れの時、僕はおとうに宛てたレポート用紙10枚に及ぶ手紙を棺に入れました。
僕は号泣しました。
普段気が強い長男の兄貴もいっぱい泣いてました。

兄弟で初めてやる葬式も無事終えることが出来ました。

後日おかあの大学ノートに書いてあった日記を見たら、葬式後の所に、
「子供たちがちゃんとおとうちゃんを送り出してくれて、おかあちゃんうれしかった。」
と書いてありました。

毎年七夕になると、あの時の事が走馬灯のようによみがえります。

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昨日仕事休みだったので、僕のアパートから車で30分の所にあるお墓までお参りに行って来ました。
手を合わせながら、おとうにいろいろ話しかけました。
心が穏やかになりました。
おとう、いつも天国で見守ってて下さい。
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by gohonngigoro | 2013-07-07 22:03 | 自分


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